KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年2月号
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科学技術で戦後の日本を再生した男 井深 大まさる 私が神戸高校在学中、先輩による講義で特に印象に残っているのが井深大氏だ。神戸高校の前身の神戸一中を昭和2年(1927)に卒業しており、当時の高山忠雄校長の5つ下の後輩なので気軽に来て下さったのだろうが、すでにトランジスタラジオやトランジスタテレビのみならず、家庭用白黒ビデオテープレコーダーを発表した頃で、社長として「世界のソニー」を牽引していた。56歳ぐらいだったが、背が高く精悍で、髪も黒かった。上品な紳士というイメージだったが実に熱い人で、眼鏡の奥の眼差しには愛と光が見えた。その存在感に圧倒されてか、大切なことを教えてもらったはずなのに記憶にない。 その24年後、ハワイ・オアフ島のゴルフ場で、楽しそうにプレーする井深氏と出会った。89歳で亡くなる10年前のことで、ひと言でも講演のお礼を言えばよかったと後悔している。 井深大氏は明治41年(1908)、栃木の日光で井深甫たすくの長男として生誕した。甫は新渡戸稲造門下生の優秀な技術者で、日本最古の水力発電所のひとつと伝えられる静岡の発電所を設計した人物だという。しかし、幼くして父を失い、祖父の基もといが父親代わりだった。井深家は保科家(後の会津連載 神戸秘話 ⑭瀬戸本 淳(せともと じゅん)株式会社瀬戸本淳建築研究室 代表取締役1947年、神戸生まれ。一級建築士・APECアーキテクト。神戸大学工学部建築学科卒業後、1977年に瀬戸本淳建築研究室を開設。以来、住まいを中心に、世良美術館・月光園鴻朧館など、様々な建築を手がけている。神戸市建築文化賞、兵庫県さわやか街づくり賞、神戸市文化活動功労賞、兵庫県まちづくり功労表彰、姫路市都市景観賞、西宮市都市景観賞、国土交通大臣表彰などを受賞文・瀬戸本 淳 (建築家)16

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