KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2018年1月号
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女性たちに「装う喜び」を神戸洋裁教育の母 福冨芳美 カタコトとなるミシンの音が懐かしい。私の母は、洋裁が大好きだった。父の背広をほどいて、上着と半ズボンを縫ってくれた。複雑な模様の手編みのセーターも、厚手の布で野球のグローブまで手づくり。母はもちろん自分の服も自分で仕立てていたが、新聞や雑誌に載っていたパターンをもとにしていた。 福冨芳美は大正3年(1914)、布帛関係の仕事をしていた小田福治の長女として岡山で生まれた。その頃の女性の普段着はまだ和装。大開小学校の入学式で着た、母の友人に仕立ててもらった服が洋服との出会いだったという。やがて県立第一神戸高等女学校に入学、青春時代に神戸のハイカラでエキゾチックなセンスを身につけつつ、プロ用のシンガーミシンで卒業制作にスプリングコートをつくった。ところがあまりの出来の良さに「生徒が縫える訳がない」と横やりが入って、展示してもらえなかったという。 卒業後はトアロードの洋服屋さんで研鑽を積んだ後、21歳の時に裁断を学ぶため上京、杉野学園ドレスメーカー女学校で専門的な知識と技術を会得した。この時代の恩師、今井絹子さんの縁で、後に福冨震一中尉と結婚。家庭は強力な支えとなった。連載 神戸秘話 ⑬瀬戸本 淳(せともと じゅん)株式会社瀬戸本淳建築研究室 代表取締役1947年、神戸生まれ。一級建築士・APECアーキテクト。神戸大学工学部建築学科卒業後、1977年に瀬戸本淳建築研究室を開設。以来、住まいを中心に、世良美術館・月光園鴻朧館など、様々な建築を手がけている。神戸市建築文化賞、兵庫県さわやか街づくり賞、神戸市文化活動功労賞、兵庫県まちづくり功労表彰、姫路市都市景観賞、西宮市都市景観賞、国土交通大臣表彰などを受賞文・瀬戸本 淳 (建築家)14

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