KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年12月号
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クラブ活動だけはと平成17年(2005)まで、家元じきじきに講師を務めた。昭和30年代になると神戸市内の各中学校でいけばなを教えるなど、華道の底辺拡大に貢献している。 華道家としては、移り変わる時代時代の生活様式に合った芸術としてのいけばなを追求した。古典的な本質を土台とし、自由な発想で前衛的な作品を発表。書道や尺八、日本画、写真などにも才覚があり、書や写真とコラボレーションした花展を開催するなどいけばなを総合芸術に昇華させ新境地を切り拓いた。私は高校時代、美術部だったが、その時絵を教わった大橋良三先生は雲華と親しかったそうで、花そのものに対しての理念と愛に感銘を受けたという。 昭和31年(1956)に二代目家元となるが、以前から華道界全体の発展を見据えて活動。流派を超えて研究指導にあたるべきと考え、兵庫県いけばな協会の創設、日本いけばな芸術協会の発足に大いに尽力した。国際交流にも積極的で、いけばなを通じ世界へ日本文化を伝えた。これら数々の業績により、平成6年(1994)に勲五等双光旭日章を受章している。 惜しくも3年前の暮れ、あと10日で100歳という日に逝去された。現在は私も親しくしてもらっている三代目家元、西村公延さんが佳生流を率いている。さんちかの広場に飾られるオブジェのようないけばなは彼の作品だ。10年続いた神戸ビエンナーレでは、華道家の吉田泰巳総合プロデューサーのもと、市民を巻き込んだサポーターのリーダーとして大活躍された。 「人間一人一人が花のように美しく、自然な姿に生きられるのなら、どんなにか幸せな社会が生まれることでしょう」。息苦しいこの時代、花のように凛と生きた華道家の言葉が私たちの心に響く。※神戸高校鵬友会誌『鵬友』、『新日本華道五十年の歩み』、『佳生流七十年のあゆみ』、『佳生流八十年のあゆみ』、佳生流ホームページなどを参考にしました。※敬省略西村 雲華(にしむら うんか)佳生流二代目家元1916年生まれ。1942年に西脇から神戸に地を移しいけばなの活動を始め、1949年に現在の佳生流の独特の花種となる新潮花などを制定する。1956年8月に二代目新日本華道の二代目家元となる。1979年兵庫県文化賞、1980年神戸市文化賞、1989年神戸新聞平和賞、1994年春の叙勲勲五等双光旭日章ほか多数。兵庫県いけばな協会や日本いけばな芸術協会の発足当時から役員として活躍。いけばなへの情熱だけではなく写真や書などにも情熱を注ぎ、いけばなと写真、書を融合した花展を開く。写真提供/いけばな佳生流17

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