KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年11月号
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株式会社フードストーリィ 代表 古屋 裕子 さん「絢爛亭のおせちは母の味です」と話す古屋裕子さん。毎年一緒におせちを作ったお母様、昨年元旦に急逝された女将の都さとこ子さんの思い出をお話しいただいた。―お母様はずっとおせちを作っておられたのですか。 花隈の絢爛亭の頃からお客さまの注文に応じておせち料理のお重を作っていました。―豪華なおせちだったのでしょうね。 母は、「絢爛とは煌びやかで華やか」そんな女性でありたいという願いをこめて、屋号にもしていたほどですが、お料理はいつも体にいいものを一番に考えて作っていました。私たちに作ってくれるお料理もそうでしたし、おせちも決して他のお料理屋さんのように豪華といえるものではなかったですね。でも、どれも美味しく召し上がっていただけるように心を込めて手づくりしていましたので、お客様からは、「おせちにはあまり食べたいものはないけれど、絢爛亭のお節は全部頂ける」と言っていただいていました。―震災で被害を受けながらも続けておられたのですね。 1995年の暮れは、震災でたくさんの方が亡くなり、仮設住宅で暮らす方も多いなかで「おせちなど必要?」と考えました。でも一年で一番大切な節句「お正月」だから、お重ではなく一段だけにして、福が来るようにと願って「福膳」としてお出しすることにしました。海老や数の子、お煮しめ、黒豆、田作り、栗きんとん、鯛のすり身で作った蒲鉾、たたきごぼうなどがちゃんと詰まった一段重でした。一人か二人用のおせちは当時珍しく、とても好評でした。以来一昨年まで続けて作っていました。―年末は大変だったでしょうね。 毎年クリスマスが過ぎる頃からできることを始めていました。私は「あ~またこの時期がきた」と憂鬱でした(笑)。田作りや栗きんとん、黒豆などは私も手伝っていました。お煮しめなど絢爛亭のおせちは〝美味しくいただけて体にいい〟母の味30

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