KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年11月号
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星』は1967年頃に神戸で撮影され、朝日生命ビル、京町筋、県庁北の歩道橋、水上警察、摩耶大橋、さんちか入口などのシーンがあり、懐かしい市電も健在だ。カラーなのでいきいきと昔の神戸が甦る。 石原裕次郎は神戸生まれ、渡哲也・渡瀬恒彦兄弟は淡路の出身だ。ほかにも神戸出身の杉良太郎、神戸高校出身の高島忠夫など、舛田映画には兵庫ゆかりのスターも多数出演。『首都消失』の原作、小松左京は神戸一中のOBで『俺の血は他人の血』の原作の筒井康隆も神戸にゆかりがある。ちなみに『宇宙戦艦ヤマト』の脚本の藤川桂介氏は私と親しく、そんなことからも舛田映画に親近感を覚える。 舛田は自己の体験に立ち自分に相応しい最上の方法で80以上の作品を創っていたが、その広さ、深さにびっくりさせられる。刻々の映像の展開が人々に感動を、生きる悦びを与えていった。アウトローを身上としつつ、使命より使命へと身を捧げる充実した映画人生を送った。戦時中から戦後間もない頃の貧しく苦しい日本の社会は、大いに人々を幸せな気分にさせる人と能力を求めていた。そしてその人には活躍すべき自由の天地が待っていた。舛田はそんな見たこともない境地において、全身全霊で奮闘し、人々のために真剣に働いた。自分の身を殺しても取り組んだからこそ、自由の真理を知る偉大な監督になったのだ。 対話集を読むとわかるが、企画・原作・脚本・撮影・美術・音楽その他のスタッフや出演者たちとの愛の大きさ、深さが見えてくる。すべての人を愛し、感謝していた。本当に愛の人だ。舛田映画に不朽の名作は数知れないが、彼そのものが造化の傑作である。※敬称略※神戸高校鵬友会『鵬友』、シンコーミュージック・エンタテイメント『映画監督 舛田利雄』などを参考にしました。舛田 利雄(ますだ としお)映画監督1927年、兵庫県生まれ。大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)ロシア語学科卒業。1954年に新東宝に入社し、後に日活に移籍。助監督を経て1958年『心と肉体の旅』で監督デビューを飾る。日活アクション映画全盛期に石原裕次郎や小林旭主演のアクション作品を多く手がけ「日活の舛田天皇」とも言われた。代表作に「闘牛に賭ける男」、「太陽は狂ってる」、「上を向いて歩こう」、「花と竜」、「太陽への脱出」、「赤いハンカチ」、「人生劇場」、「赤い谷間の決闘」、「嵐を呼ぶ男」、「対決」、「大幹部」、「あゝひめゆりの塔」、「トラ・トラ・トラ!」、「さらば掟」、「人間革命」、「二百三高地」などがあり、作品数は80以上にのぼる。渡哲也(中央)、浜田光夫(右)に演出指導する舛田利雄(左)写真/「無頼」より 大幹部 ©日活17

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