KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年10月号
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いたのだろう、ここから戦略的な住宅地開発がはじまる。この地を通過する予定だった阪神急行電鉄(現在の阪急)に掛け合い駅設置の協約を結び、大正9年(1920)の神戸線開通時に夙川駅も開業、街のコアを設けた。当時このあたりは大社村だったが、村も上水道を整備し宅地化をバックアップ、それまで森具区の所属だったこの一帯を農村地区から分離し、大正12年(1923)に香櫨園区として独立させ、さらにその9年後に夙川区と改称した。以降、このエリアは夙川地区として定着し、結果的に香櫨園という名は本来の場所から南、阪神香櫨園駅以南の地区を指すようになって今に至っている。モダニズムの花咲く もともと遊園地で、起伏に富んだ景勝地だったこの土地の魅力を、大神中央土地は巧みに利用し、現在のニュータウンのように山を削り谷を埋め平地を造るというのではなく、自然の地形を生かしつつ街区を設け、150~1000坪という広い区画とし、分譲地と分譲住宅を用意した。しかも前述のように駅があり交通も至便だ。さらに、昭和初期に記録されたと思われるメモによると坪単価が50円~80円で、当時の銀行員の初任給と同じくらい、つまり現在で言えば20~30万円くらいの値頃感なので、信じられないくらい安い。これだけの好条件ゆえに売れない訳がなく、富裕層がこぞって買い求めた。 大神中央土地の住宅地開発は南から北へと進み、最終的に30万坪ほどになった。そしてパインクレストアパートメントホテルや夙川カトリック教会などモダンなインフラもでき、外国人も多くここに住まい、ヴォーリズに代表される洋風の住宅も建ち、阪神間を代表する住宅として名を轟かせるようになる。特に大正12年(1923)の関東大震災を契機に関東から転入してきた住民も増え、文豪、谷崎潤一郎も一時期ここに滞在したという。 パインクレストは現在の殿山町にあった。一部鉄筋の木造3階パインクレストの周辺には、ナショナル・シティ銀行大阪支店の社宅群が建てられたナショナル・シティ銀行大阪支店長住宅。設計は、神戸女学院や関西学院の建築で知られるヴォーリズ48

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