KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年10月号
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雲井町には、大神中央土地(株)がかつてこの地にあったという碑が残る「パインクレストアパートメントホテル」は大正末期、殿山町に関西初の本格的なホテルとして開業した。西宮市情報公開課所蔵。現在でも石垣が残る折々楽しめ、しかも風光明媚。一日中過ごしても飽きない充実ぶり、時を超えていまも訪ねてみたくなるようなパラダイスだったのだ。 ちなみに松園町は曙池の場所から推定すると、運動場があったあたりだったようだ。そして華麗なる転身へ 斬新過ぎたのか飽きられたのか、香櫨園は開園当初こそ賑わったものの、3年も経つと客足が遠のいたようで次第に経営が悪化、なんと開園からわずか6年で閉園になってしまった。栄枯盛衰は世の常とはいえ、なんとも惜しい話だ。閉園前から香櫨園に見切りをつけた阪神は、施設を海岸に移動させ、新たに香櫨園海水浴場を開設している。動物たちは箕面公園の動物園へ移った。 そして残された土地の大部分は、サミュエル商会に引き継がれた。このサミュエル商会はもともとイギリスの総合商会で、明治9年(1876)に日本法人を設け、貿易や石油、保険などの分野でビジネスをおこなっていた会社のようだ。神戸や大阪にも支店があったらしく、このあたりの事情にも通じ、この地に魅力を感じていたのだろう。香櫨園跡地を外国人向けの住宅地にする計画を目論んだようだが、第一次世界大戦の影響か、三井や三菱、鈴木商店などの台頭により日本での外国商会の活動が下火になりつつあった時代背景からか、一説には園内の一部に残留した人との立ち退き問題がこじれていたともいわれ、計画は実現せず転売された。 その後、土地は大阪の本庄京三郎という人物の手に渡り、さらに大正6年(1917)、質屋や釜屋、漆屋など大阪の商家が中心となって設立した大神中央土地に売却された。 大神中央土地は住吉・御影など阪神間で胎動していた郊外の高級住宅地のニーズを掴んで47

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