KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年10月号
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高塚1~3号墳が、東隣の羽衣町には王子ヶ丘古墳があるだけでなく、さらに夙川の東側には越水山遺跡、神楽町遺跡、市庭町遺跡、西宮神社社頭遺跡が発見されている。西隣の芦屋市側でも阿保親王塚古墳、駒塚古墳、笄塚、うの塚、四ツ塚など古墳以外にも銅鐸の出土地まで点在。まるで松園町を囲むように、われわれの遙かなる祖先たちがこの地でいきいきと暮らしていた痕跡が広がっている。 ここは六甲山系の南麓、山の端から平地へと続き、さらに海も近いところで、昔は自然も豊かで水清らか、農耕にも好適かつ漁業や狩猟を営むにも好都合で、生きるために必要なものはすべて手に入ったであろうことがうかがえる。ゆえに早くからライフステージとして着目されて早くから社会構造が育まれ、それが生活文化の土壌を涵かんよう養したのではないかと思うと、太古へのロマンが広がる。 時代は飛んで明治初期、いまの松園町一帯は狐や狸が遊ぶ山林で、旧森具村の一部だったようだ。森具村は由緒ある村今も昔も静かに清流を湛える夙川43
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