KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年10月号
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動運転装置など現在と同じ機能を有していただけでなく、時計も備えていたという。 しかし戦争の時代になり、鐘は金属供出の標的となった。しかし、直径2mあった4面の時計の文字盤などの供出は余儀なくされたものの、多くの人々の嘆願により鐘の供出は逃れた。ちなみに、時計の針もこのとき残り、現在も保管されている。 戦時中は軍部の指令により機能を停止されていたカリヨンだが、昭和29年(1954)になってベルギー人のヴェルヴィゲン神父により修復がなされ、夙川の街は平和の空の下に再び鐘の幼き頃の遠藤周作が、悪戯でこのカリオンを鳴らし、神父にこっぴどく叱られたと伝わる音を取り戻した。しかし、神父が転出した後に故障して昭和38年(1963)に止まってしまう。 その後、機械式から電気式へ改造し、引き綱による打鐘の自動化を試みたもののうまくいかず、結局設置当時の機械式による復旧を目指すことになった。そのプロジェクトに立ち上がったのは、平成21年(2009)に信徒たちのボランティアで結成された修理班。とは言えメンバーは素人同然で、資料や目視による調査からスタートし、手作業で修復作業をおこなった。まずは約半年かけて自由演奏機能を復活させ、西宮市都市景観形成建築物指定の記念式典では鍵盤による演奏を実現。また、手動によるアンジェラスの演奏が可能にまで修復が進んだ。 ところが自動演奏機能の復旧は一筋縄ではいかなかったようだ。その心臓となる機械式時計のおもりの巻き上げ軸に損傷があり、新しい軸に取り替えたもののなかなか作動せず、時には外部の専門家の力を得ながら歯車の分解清掃や振り子や軸受けの調整をおこない、約2年の歳月をかけてようやく24時間止まらずに動くようになった。「現在も毎日調整しているんですよ」と梅原彰神父が語るように、その後は汗と愛情のメンテナンスに支えられている。 No.6の鐘には「朝 昼 晩 わたしはあなたの賛美を語り告げよう」とラテン語で記されている。カリヨンは時代を超えてその使命を貫き、今日もその清麗な音色で夙川の人々の心を濯ぐ。大正12年(1932)に設置された夙川教会のカリヨンは日本最古のもの39

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