KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年10月号
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ところが、昭和32年(1957)ヘルツォーク神父は突然失踪し、上智大はおろかイエズス会も辞め還俗してしまったのだ。遠藤は非常なショックを受けた。 遠藤は作品に登場する老外人に、メルシェ神父が寄り添った元神父の男性と、ヘルツォーク神父を重ね合わせているのだろう。『影法師』は事件から11年後の作品だが、ヘルツォーク神父を赦す気持ちになっていたことが行間に滲んでいる。メルシェ神父が老いた元神父を受け入れたように。 「棄教」と「背信」、そして「赦し」というテーマは遠藤文学の大きな柱だが、2人の神父が大きな影響を与えたことは間違いない。 その結実のひとつが名作の誉れ高い『沈黙』だ。物語の舞台は長崎の外海だが、遠藤はその紺碧の海の向こうに夙川の尖塔を望み、潮騒にカリヨンの音を聴いていたのかもしれない。 カトリック夙川教会なくして遠藤周作の世界は生まれなかっただろう。阪神・淡路大震災の被害も受けたが、修復され、創健当時の美しい姿を伝える37
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