KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年10月号
35/51
しかし、そんな酷い仕打ちを受けても、メルシェ神父は「私は日本人を恨んでいませんから」とひと言述べただけで、死ぬまでその時の事を話さなかったという。亡くなるまで拷問で受けたケガで脚を引きずっていたのにもかかわらず…。 神父が根拠なく捕らえられ拷問されたことに、遠藤は衝撃を受ける。潔白そのものだと知りながら、信者たちは無力で助けられなかった。遠藤はその事実に、弟子たちがイエスを見殺しにしたことを重ねたのだ。しかし、そのことが自分の弱さや二重性を認識させ、それが小説家として多大なテーマを投げかけたと遠藤は後に述べている。棄教、背信、そして赦し その教会に時折、一人の老外人がやって来るのでした。信者たちの集まらぬ時間を選んで司祭館にそっと入る彼を僕は野球をしながら見て知っていました。「あれは誰」伯母や母に尋ねましたが、彼女たちはなぜか眼をそらせ黙ってしまいました。 『影法師』「祭壇正面にキリスト像ではなく、聖女テレジアを置いているところも夙川教会の特徴です」とカトリック夙川教会・梅原彰神父(右)と蓮沼純一さん35
元のページ