KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年10月号
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遠藤とゆかりが特に深かったのは、昭和12年(1937)に3代目主任司祭に就任したメルシェ神父だ。彼は立派な人物だったと伝えられる。 戦時中、メルシェ神父はフランス人だというだけで憲兵隊にスパイ容疑で監視され、終戦間もない昭和20年(1945)の5月に逮捕され、終戦までの約100日間拘留されて、ブーツで蹴られ、鞭で打たれるなど厳しい拷問を受けた。自白を強要されても「刑に処される方がましだ」と頑として受け付けず、暴力や飢え、劣悪な衛生状態に耐えた。教会も救出に奔走したが、時代が時代、叶うことなく、解放されたのは終戦の翌日だった。このときは骸骨のように痩せこけ、体中の皮膚がただれて歩行も困難というひどい状況で、教会に復帰するまで1か月以上の養生を要したという。この出来事については、野坂昭如も自身の半生を描いた『わが桎梏(しっこく)の碑』に記している。また、カトリック夙川教会を創設したブスケ神父も戦時中憲兵隊に捕らえられ獄死している。建設が進む夙川教会の尖塔。昭和初期の頃の写真初代主任司祭・ブスケ神父の写真が残る。右から3人目昭和7年の聖堂が落成したころの写真。信者と共に34
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