KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年10月号
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り、勤務先の小林聖心で受洗した。昭和10年(1935)、灘中に入学した遠藤は、カトリック夙川教会で主任司祭の長田辰之助神父より洗礼を受ける。このときのことを、遠藤は『夙川の教会』でそして「はい」と無自覚に答えたあの復活祭の日曜日。だが、無自覚に答えた誓いがその後、芽をだし、葉をつけ、私を苦しめはじめたのだ。少年時代の私の虚栄心や感傷やきたならしさも、この教会に結びついている。と回想しているように、洗礼を〝受けた〟というより〝受けさせられた〟というべき出来事だったようだ。このとき授かったポールという洗礼名とカトリシズムは、青年期に〝合わない洋服〟として遠藤を苦悶させ、やがてそれを糧に遠藤文学が生まれていく。しかし、当時の周作少年はそんなことを知る由もない。ミサは退屈でお気に召さず、母の言いつけで祈っているふりをしていただけだった。そして、教会は遊び場だった。奇声を発したり、キャッチボールしてガラス窓を割ったりなんていうのは序の口。聖堂のカリヨンを勝手に打ち鳴らしたり、説教中に犬を解き放って信者を驚かせたりして大目玉を食らったというエピソードも。しかし後者については、たまたま愛犬が綱を切ってやって来て暴れただけだと遠藤は弁明しているが、平生か遠藤周作とゆかりの深いカトリック夙川教会。カトリックの教えは、遠藤文学に大きな影響を与えた31
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