KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年9月号
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かなの研究に生涯を捧げる覚悟を抱いたそうだ。 昭和16年(1941)、安東は県一を辞し、書道一本の生活に身を投じるも、その直後に18歳の一人娘を失う。悲嘆に暮れつつも研究の歩みは止まることなく、その努力は戦後見事に開花する。昭和28年(1953)の日展出品作を文部省が買い上げ、昭和32年(1957)には戦後初の式年遷宮を迎えた伊勢神宮の社宝として作品が永久保存された。そして昭和35年(1960)、「みなそこ」が芸術院賞を受賞。かなの作品としては初の快挙で、まさにかな書道が世の中に認められた瞬間になった。日本独自のひらがな文字は平安時代に優美の極地へと高められたが、安東は藤原行成の『和漢朗詠集』を手本に独学でかなを学んで古典への回帰を目指しただけでなく、机の上でひとり味わう小字かなから、展覧会場で多くの人に鑑賞してもらう新たな壁面芸術としての大字かなへと昇華させた。「みなそこ」はその代表作だ。その後、安東の書は日本文化の象徴として、在外公館や大阪万博の貴賓室などを彩った。 神戸では安東の作品に出会うことができる。須磨離宮公園には自作の歌の碑が、県庁一号館には「第一神戸高等学校跡」の石版がある。安東の作品を多く所蔵する神戸市立博物館の正面玄関の額も、安東の筆によるものだ。また、長田区の蓮池小学校の校歌の作詞も手がけている。ちなみに、作曲はこの連載の初回で紹介した田中銀之助だ。 安東聖空の作品は、人間のまごころから現れる汗と涙と祈りが、流れるような筆の一筆一筆にあらわれている。人ならぬ輝きにうたれたとき、心の花が咲き、拝みたい気持ちになる。本当に豊かな、書の世界である。※敬称略※神戸高校同窓誌『鵬友』、『上郡町史』、筑摩書房『現代書道教室 安東聖空』、神戸市立博物館ホームページ、須磨区ホームページなどを参考にしました。安東 聖空(あんどう せいくう)書家明治26年、兵庫県生まれ。大正3年に姫路師範学校(現在の兵庫教育大学)を卒業後、大正11年に兵庫県立神戸第一高等女学校(現在の兵庫県立神戸高等学校)教諭となる。古筆かなを独学で学び、雑誌『かなとうた』、『正筆』を創刊して書道の普及に尽力。各展で活躍し、書道界に大きな影響を与えた。日本書芸院副会長、日展参事、日展評議員、日展顧問などをつとめ、日本芸術院賞受賞、勲四等旭日小綬章、勲三等瑞宝章受章等を受賞。昭和55年文化功労者写真/「安東聖空」神戸市立博物館Photo : Kobe City Museum / DNPartcom15

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