KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年8月号
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深い洞察から甦った伝説の都難波宮と置塩章・山根徳太郎 前号で紹介した偉大な建築家、置塩章先生は、歴史に造詣が深い人物でもあった。 時は大正2年(1913)の1月。陸軍第四師団の技師だった置塩先生は、陸軍被服廠倉庫の建設現場で、深さ約2・7mの地点からがれきを見つけた。誰も気に留めないようながれきだが、置塩先生は現場でそれらを手に取り、古代の瓦だと確信する。 当時、難波宮についてはすでに文献にあったが、謎に包まれていた。というのも、その存在を示す出土品が未発見で、所在地も地名考証による推測の域を出ていなかったのだ。 置塩先生はたぶん、難波宮にも深い関心を寄せていたのだろう。ゆえに、地中深く眠っていた瓦が難波宮のものだと洞察したようだ。置塩先生は重圏文や蓮華文の軒丸瓦を持ち帰り、自宅で大切に保管していた。 その6年後、置塩先生のところへ瓦を見せてほしいと一人の歴史学者が噂を聞きつけて訪ねて来る。大阪市民博物館で資料収集にあたっていた山根徳太郎博士だ。博士は瓦を実見し、伝説の都がここにあったと確信する。しかし、発掘場所は陸軍の土地。調査など言語道断だ。 やがて平和の時代が到来。大阪市立大学の教授となった山根博士はいよいよ動き出し、昭和27年(1952)に置塩先生と再会。置塩先生が防空壕連載 神戸秘話 ⑧瀬戸本 淳(せともと じゅん)株式会社瀬戸本淳建築研究室 代表取締役1947年、神戸生まれ。一級建築士・APECアーキテクト。神戸大学工学部建築学科卒業後、1977年に瀬戸本淳建築研究室を開設。以来、住まいを中心に、世良美術館・月光園鴻朧館など、様々な建築を手がけている。神戸市建築文化賞、兵庫県さわやか街づくり賞、神戸市文化活動功労賞、兵庫県まちづくり功労表彰、姫路市都市景観賞、西宮市都市景観賞、国土交通大臣表彰などを受賞文・瀬戸本 淳 (建築家)20

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