KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年7月号
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村山家の美しい庭園に開設された香雪美術館参考資料 御影町役場偏『御影町誌』/続・御影町誌編纂委員会編『続・御影町誌』/田辺眞人『東灘歴史散歩』/神戸市教育委員会『郡家遺跡 御影中町地区第3時調査既報』/落合重信『神戸の歴史』/「阪神間モダニズム」展実行委員会編著『阪神間モダニズム』/竹村民郎『阪神間モダニズム再考』/平凡社地方資料センター編『兵庫県の地名』/「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典28兵庫県』 ほか森林のような緑の中に塔屋が見える見上げると緑が美しい六甲山が広がる 郡家が属する御影町とその周辺の村では戦前、合併して「甲南市」という新たな市をつくろうという構想あったが、御影村は神戸市との合併の方向に動いていた。そして戦後の昭和23年(1948)、御影町へ神戸市より申し入れがあり、昭和25年(1950)に御影・魚崎・住吉の3町村が神戸市と合併、東灘区が誕生し現在に至っている。 高度経済成長の時代になるとベッドタウンとして注目を集めるようになり、空き地や防空壕が住宅へと変わっていく。旧岩井勝次郎邸も2棟の4階建てのアパートへと変貌を遂げた。昭和40年代からは区画整理により道路が整備されて都市基盤も整っていき、かつての郊外住宅地の魅力を受け継ぎつつ、交通や生活に便利な点も評価され、住環境の良い住宅地として知られるようになっていく。一方で郡家地区自治会を中心にまちづくりにも熱心で、特に平成になってからは自治会活動が盛んになり、平成7年(1995)の阪神・淡路大震災を乗り越えて地域の絆は深まっていった。 平成20年になると住居表示が変更されて郡家地区は御影郡家1丁目・2丁目となる。それまでは都市部では珍しく、堂ノ前や垣内など歴史を感じさせる小字名が残っていた。 そして現在は住民たちと行政により街の景観が守られ、地区総面積の約15%が緑と水の空間という良好な環境の中、伝統を受け継ぐだんじりや村山邸の敷地の一角に開館した香雪美術館などに文化の薫りが漂い、人々の羨望を集めている。45

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