KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年7月号
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影郡家御影郡家について例えば柔和な紳士の裏にドラマティックな人生があるように、穏やかな郡家の街にも激動の歩みがある。そのヒストリーを紐解いてみよう。先史時代から愛された地緑豊かな六甲山の麓、南向き斜面の爽快な場所に位置し海もほど近い郡家とその周辺は、山海が幸を恵み水も清らかで豊かなところでもあり、太古から人々に暮らしの場所として選ばれていたようだ。ゆえに、この一帯には遺跡が多い。郡家遺跡は縄文から中世にかけての複合遺跡で、範囲は現在の御影郡家とその周辺の南北1キロ、東西500メートル。ここに各時代の痕跡が眠っている。その一角、現在の御影中学校の敷地から縄文時代早期の縄文土器片が出土しただけでなく、住吉川を挟んで東の西岡本や北青木、本庄でも縄文時代の遺物が発見されていることからも、この頃からこの一帯が開けていたことがわかる。郡家遺跡からは弥生時代の住居や墓の痕跡も見つかっており、水稲耕作がおこなわれていたものと推測されている。弥生時代後期の土器には生駒山西麓でつくられたものもあることから、交易もおこなわれていた郡家GUNGE郡家影MIKAGE影40

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