KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年7月号
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湯川寛吉:住友銀行常務、住友鋳鋼所会長、第5代住友総理事秋山廣太:大阪合同紡績(現東洋紡)社長小林一三:阪急電鉄創業者關一:大阪市長野村徳七:野村財閥、野村證券創業者弘世助太郎:日本生命創業者阿部彦太郎:東洋綿花(東洋紡)監査役伊藤忠兵衛:伊藤忠創業者岩井勝次郎:岩井商事社長(後の日商岩井、現在の双日)甲南学園と平生釟三郎「欲を忘れたものくらい強いものはない」。「真に強いということは、正しい行いのものにおいてはじめて期待できる」。この寸言は、甲南学園創始者の平生釟三郎の言葉である。平生は東京海上保険の専務取締役を務めるが、「50歳までは実業界のために身を挺し、50歳になってから社会奉仕を」と甲南学園を創設、拾芳会(育英事業)を始め、神戸が生んだ社会運動家賀川豊彦氏の影響を受けた那須善治氏を後援し、大正10年(56歳)灘購売組合を設立、今日の灘神戸生協(現・コープこうべ)の基礎を固めた。昭和5年(66歳)甲南病院を創設、昭和8年(68歳)川崎造船所が破産寸前という時、無報酬を条件に社長を引受け、みごと再建に成功したことなど、いまも実業界のエピソードとなっている。経済界を去り、甲南学園設立をめざす平生に、大阪の財界人たちが資金を出し合い、平生に胸像を贈っている。この胸像には、彼らのサインが残されている。大阪の財界人たちが贈った平生の胸像。撮影協力/甲南学園甲南学園設立後、経済界を去り社会事業家となることを決意した際に、大阪の財界人たちが資金を出し合い平生に胸像を贈っている撮影協力/甲南学園39

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