KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年7月号
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坂本さんが『阪神間モダニズム』(平成9年/1997・淡交社刊)で紹介した昔の記録にこんな文章があります。新聞記者であった北尾鐐之助が『近畿景観』(昭和4年/1929)「阪神風景漫歩」の章に描写した、阪神間の生活です。「阪急電車では、六甲、御影から多くの西洋人が乗つた。神戸から毎日必ず顔を合はせる品のよい老人があつた。その人はいつも御影で降りた。日曜日など、若い娘にニツカーを穿かせて、リユツクサツクを背負つた西洋人の一家が、よく六甲で降りて山に入るのを見た。(中略)御影=岡本=芦屋川では阪神間における、最もモダーンな色彩を乗せる。それは大概、ブルヂヨアの家族たちで、目のさめるやうな振袖か、でなければ、スマートな洋装である。それは阪神における、有名な実業家の誰々と指すことの出来るやうな人たちであつた。」御影・住吉の山手地区には、明治の後半から大正にかけて、関西圏の財界人たちが多く邸宅を構えました。住友吉左衛門(住友財閥)大原孫三郎(倉敷紡績)阿部房次郎(東洋紡績)武藤山治(鐘淵紡績)和田久左衛門(鴻池銀行)神社柳吉(倉敷紡績)野村元五郎(野村銀行)乾新兵衛(乾汽船)広海二三男(広海汽船)武田長兵衛(武田薬品工業)弘世助三郎(日本生命保険)村山龍平(朝日新聞)野村徳七(野村財閥)平生釟三郎(甲南学園)安宅弥吉(安宅産業)久原房之助(久原財閥)大林義雄(大林組)嘉納治兵衛(白鶴)岩井勝次郎(岩井商事)※神戸新聞に掲載された地図を参考に作成①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯⑰⑱⑲住吉・御影にあった財界人の邸宅群阪急神戸線住吉川国道2号線⑧⑧⑧⑨⑦⑥⑤④①③⑬⑫⑭⑲⑮⑯②⑩⑰⑱⑪JR神戸線JR神戸線住吉駅御影駅大正2年(1913)に阪急電鉄が、郊外住宅を勧める『山容水態』を創刊33

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