KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年7月号
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ことを憂い、仏教美術の名品を収集。また、伊勢の由緒ある武家出身である村山は古儀茶道「藪やぶのうちりゅう内流」を学んでおり、御影の邸宅には茶室を造り、海外の客人をもてなしたり、財界の仲間たちと茶の湯の会を発足させた。そのため茶道具の収集品も多く、名品や珍品が数多いという。美術を愛した村山は、岡倉天心らが明治22年に創刊した美術専門誌『國華』の発行を支援。「美術品を買い集めた財界人は多くいます。価値のある美術品は、あるいは財産にもなります。でも、村山は美術品の収集だけでなく、美術雑誌の発行という無形の文化を支援した。いわば、精神文化の興隆を支援したのです」と、内海紀雄館長は話す。しかも、朝日新聞の経営とは一線を画し、村山は篤志(ポケットマネー)で雑誌の発行を援助した。世界で最初に創刊した美術専門誌といわれたフランスの雑誌は、すでに十数年前に廃刊。村山が亡くなるまで援助を続けた『國華』は、現在も朝日新聞社の支援で発行を続け、いまや世界でもっとも古い美術専門誌となっている。長谷川等伯「柳橋水車図屏風」所蔵品は仏教美術、茶道具、絵画など幅広い朝日新聞社 創業者 村山龍平27

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