KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年6月号
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育研究会を創設。古式水泳に通じ、巻き足や踏み足などその技術を伝承したからこそ日本はシンクロナイズドスイミングの強豪国になったのかもしれない。元総理大臣の鳩山一郎とも親しかったそうだ。 正太郎の義兄にあたる二代目藤井得三郎は龍角散の会長を務めた人物で、亀一郎と交流が深かった。関東大震災後に大阪へ工場を移し事業を復興するにあたり、亀一郎が船会社との交渉などで協力して製品や救援物資の輸送が可能になったという。 さて、森垣亀一郎は4男1女をもうけたが、教育熱心な家庭だったようで、4人の子息はみな神戸一中(現在の神戸高校)を出て、長男から三男は京都大学、四男は東京大学に進学している。三男の清は法学部を出て行政監察庁に勤めたが、ほかの3名はいずれも工学部を卒業し、父と同様に交通インフラを支える仕事で社会に貢献した。 亀一郎は港湾の専門家だったが、長男の茂は地下一筋。大阪の地下鉄建設に関わり、後に神戸市水道局長や神戸地下街専務を歴任した。次男の誠は鉄道畑。神戸市交通局や阪神電鉄などで手腕を発揮し、やがて鉄道車両メーカーの武庫川車両の社長に。四男の勉は父が造った港へと着く船舶の業界へ進み、川崎重工の神戸工場長を務めた。 御影にある森垣胃腸科外科の院長、森垣驍先生は、森垣誠の次男で亀一郎の孫にあたる。実は驍先生の奥様、眞理子さんは私の神戸高校時代の同期生。お嬢様の美智子さんは元キャビンアテンダントで英語が堪能な上、家が近所だったこともあり、私の娘2人に英語を教えてもらうなど、家族ぐるみで親しくさせてもらっている。 思わぬところで神戸港の歴史に名を残す人物と繋がっているのも、神戸らしい話ではないか。※敬称略※森垣博士功績顕彰会『森垣亀一郎伝』、赤松啓介『神戸財界開拓者伝』、日本埋立浚渫協会ホームページ、株式会社龍角散ホームページ、藤井大薬房ブログなどを参考にしました。神戸港の近代化の礎を築く森垣胃腸科外科 院長瀬戸本の神戸高校の同期生御影で藤井医院を開業関西学生水上競技連盟を創設瀬戸本の娘2人の英語の先生龍角散創業者〈森垣家〉〈神矢家〉森垣亀一郎神矢肅一藤井得三郎ふみじゆう花ふみけい茂佳子福子誠龍馬操陽子花清誠太郎誠太郎茂陽子勉驍誠眞理子美智子仁子千代得三郎(2代目)清正太郎森垣亀一郎勉曉驍15

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