KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年6月号
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多彩な人物がさまざまな業界で活躍森垣ファミリーの人々 前回は神戸港を近代的な〝港湾〟へと改修する一大プロジェクトを手がけた技術者、森垣亀一郎について綴ったが、彼のファミリーには錚々たる人物が名を連ねている。 義父の神矢肅一は豊岡小学校の校長を務めていた時、才能がありながら家が貧しかった幼き亀一郎に目をかけ、進学への道を拓いた人物だ。その後、兵庫尋常小学校や神戸尋常高等小学校などの校長を務め、晩年は東京で私塾を開くなど有名な教育者で、長いあごひげの名士であったという。 その弟、沖野忠雄は土木史上に名を残す偉大な技術者だ。東京帝国大学で学ぶ亀一郎へ学資の援助もおこなった。豊岡藩の貢進生として大学南高(後の東京大学)へ進学、その後フランスへ5年ほど留学し近代土木を学ぶ。帰国後は淀川の改修や大阪港・神戸港の築港など国家的プロジェクトなどで手腕を発揮し、手がけた港湾は80カ所、河川は100カ所以上という。 亀一郎の妻、ふみの妹にして、神矢肅一の三女の福子が嫁いだ藤井家は、秋田藩の御殿医の流れを汲む家柄。秋田藩佐竹家の伝薬をもとに、藤井家代々により編み出されたのが「龍角散」だ。福子の夫、藤井正太郎は京都大学医学部を卒業し、御影で藤井医院を開業した。水泳教育にも尽力し、関西学生水上競技連盟や御影水泳教連載 神戸秘話 ⑥瀬戸本 淳(せともと じゅん)株式会社瀬戸本淳建築研究室 代表取締役1947年神戸生まれ。一級建築士・APEC アーキテクト。神戸大学工学部建築学科卒業後、1977年瀬戸本淳建築研究室を開設。以来住まいを中心に、世良美術館・月光園鴻朧館など、様々な建築を手がけている。神戸市建築文化賞、兵庫県さわやか街づくり賞、神戸市文化活動功労賞、兵庫県まちづくり功労表彰、姫路市都市景観賞、西宮市都市景観賞などを受賞文・瀬戸本 淳 (建築家)14

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