KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年5月号
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世界に誇る神戸港を築いた土木技師森垣亀一郎 神戸港は開港150年を迎えた。ご存じの通り、神戸港はもともと港としての好条件が揃っていたが、近代的な整備がなされなければ、コンテナ取扱世界一になるなど世界的マンモス港としての発展はなかっただろう。 神戸港が〝湊〟から近代的な〝港湾〟に生まれ変わったのは、明治末期~大正初期におこなわれた一大築港プロジェクトだ。今回はその先頭に立った若き技術者、森垣亀一郎にスポットを当ててみよう。 森垣亀一郎は明治7年(1874)、但馬は豊岡で生まれた。5歳の時に父が急逝、貧しい生活を余儀なくされる。小学校へ通うと学業成績が抜群で神童とよばれるほどだったという。彼に目をかけた校長の神矢蕭一は、このままこの地で埋もれさせるには惜しいと地元の名士、富田仙助に援助を懇願し快諾、亀一郎少年は14歳にして故郷を離れ、東京府尋常中学校~第一高等中学校と名門で勉学に励んだ。ところが富田が事業につまづき学資を断たれ、卵屋で奉公するなど働きながら学び、不屈の精神で東京帝国大学土木学科に進学。神矢の弟で、大規模な河川改修や築港事業など土木事業で辣腕を振るっていた技師の沖野忠雄が亀一郎の才能を買って学費を援助した。世界に誇る神戸港を語るとき、神戸を愛し、港づくり連載 神戸秘話 ⑤瀬戸本 淳(せともと じゅん)株式会社瀬戸本淳建築研究室 代表取締役1947年神戸生まれ。一級建築士・APEC アーキテクト。神戸大学工学部建築学科卒業後、1977年瀬戸本淳建築研究室を開設。以来住まいを中心に、世良美術館・月光園鴻朧館など、様々な建築を手がけている。神戸市建築文化賞、兵庫県さわやか街づくり賞、神戸市文化活動功労賞、兵庫県まちづくり功労表彰、姫路市都市景観賞、西宮市都市景観賞などを受賞文・瀬戸本 淳 (建築家)16
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