KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年4月号
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ですから高台で海に近い山手や北野は、景色が良いからという点も魅力的だったのかもしれませんが、貿易上の利便性も考えて外国人が住居を求めたのです。雑居地の山麓は、東に行くほど傾斜が急なのです。西側の山手はなだらかなのでそこから開けていき、だんだんと東の北野に移っていったのです。 最初に北野に住んだ外国人はギリンガムというイギリス人でした。実は、元町にあるフットテクノの社長、藤田稔さんのご西脇家に残る明治9年(1876)の地籍図ハンターが晩年を過ごした日本家屋は、現在でも北野町に残るハンターが暮らした邸宅「旧ハンター住宅」。現在は王子公園に移築されているE・H・ハンター(1843-1917)先祖が、幕末の北野村最後の庄屋、藤田清左衛門さんなんですよ。雑居地への居留は相対契約、つまり日本人・外国人双方の納得が必要で、日本人が拒否したら不許可だったのですが、清左衛門さんは新しいもの好きだったと伝えられ、外国人が住むことに村人の一部は反対しましたが、「日本は変わっていく。これからは新しいものを取り入れなければいけない」とOKされたという話が残っています。 ギリンガムが住んだ場所は北42

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