KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年4月号
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た人物ですが、そんな彼が非常に喜んで、そのお返しとして村人が自由に自艦の見学ができるように許可をしたのです。ところが、当時このあたりを管轄していた大坂奉行所がお触れを出して乗艦を禁止しました。しかし、パークスがこれを引き下げるように強く申し入れたために、村人たちは家族連れで訪れることができるようになり、最後の数日間は艦上がごった返す有様だったとパークスの記録に残っています。パークスは「旗艦の大きさや装備を実際に自分の目で確かめて、村人たちは好奇心を大いに満足させ感嘆した」とも記しています。 神戸の人々が怖がってばかりでなく新しい時代の到来を予感し『喜んで迎えた』という様子は、タイムズ紙やその他の文献に残っています。それが当時の神戸の人々の姿だったのです。雑居地指定で北野に衝撃! 1867年5月に幕府は「兵庫大坂外国人居留地規定書」を諸外国と結び、その時に北野村から神戸の街を望む。上に見えるのが、建設が進む居留地。右に見えるのが生田の森(現在の生田神社)。明治4年(1871)40
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