KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年4月号
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を要求し、兵庫津にフランス、オランダ、アメリカの4ヶ国の軍艦8隻を集めて待機させ、しかも3週間も上陸しているのです。 パークスは3週間の間新しく港になる候補地を選ぶための調査をし、士官たちが徒歩で遠出をして調査したということが記録に残っています。その時に彼らは神戸や北野・山手の人たちに出会ったのです。それについて詳細な記録はありませんが、彼らは3週間にわたり海深や神戸村・二ッ茶屋村・走水村はもちろん、山手の花隈・北野村もくまなく精査したと思われます。ある日突然、外国人たちがやって来たのですから、村人たちの驚きと衝撃は測り知れないほど大きかったことが分かります。また、パークスの記録には「村人たちはきわめて友好的だった」と記されています。つまり、北野の人たちも怖がってばかりではなく、『喜んで迎えた』のです。これが最初に外国人と出会ったときの神戸の人々の姿です。 パークスは権力を持っていた上にきわめて気が短く、恫喝外交をおこなったため恐れられてい明治元年頃の神戸地図。丸で囲んだ北野村では60棟230人が暮らした39

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