KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年4月号
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牧師の息子は稀代のギャングスター衛えとうまもる藤衛とモンタナ・ジョー 関西学院といえばヴォーリズが手がけたスパニッシュミッションスタイルの西宮・上ヶ原キャンパスを連想するが、かつては神戸の原田の森、いまの王子公園にあり、神戸文学館の建物はその名残だ。ここで教鞭を執っていた一人の教師が、やがてアメリカで激動の人生を送った。 彼の名は衛藤衛。明治16年(1833)、大分県竹田で平家の流れを汲む武士の家系に誕生。小学校教員を経て日露戦争へ従軍、帰還後に神戸で洗礼を受け、明治42年(1909)から2年ほどは神戸一中(現在の神戸高校)に勤務していたが、「7年務めれば外国に留学できる」と誘われ関西学院へ移籍する(諸説あり)。もともと弓の心得があり、サッカーも教えたそうだ。また、「布引躬行舎」という修養団に属し、玄米を常食し、日曜日は聖書講義を聞くなど精神主義的な面もあったと伝えられている。 大正6年(1917)頃、衛は渡米する。大学設立を目指した関西学院が派遣したとも、日本政府より日系アメリカ人の実態調査を命じられたとも言われているが、カリフォルニアで日系人の荒んだ状況に衝撃を受けアメリカにとどまることを決意し、日本より妻と娘を呼び寄せ、教会を建て日系人の救済に尽力。太平洋戦争の時代は強制収容所に入るも、戦後はハリウッドの祈りの家の主任牧連載 神戸秘話 ④瀬戸本 淳(せともと じゅん)株式会社瀬戸本淳建築研究室 代表取締役1947年神戸生まれ。一級建築士・APEC アーキテクト。神戸大学工学部建築学科卒業後、1977年瀬戸本淳建築研究室を開設。以来住まいを中心に、世良美術館・月光園鴻朧館など、様々な建築を手がけている。神戸市建築文化賞、兵庫県さわやか街づくり賞、神戸市文化活動功労賞、兵庫県まちづくり功労表彰、姫路市都市景観賞、西宮市都市景観賞などを受賞文・瀬戸本 淳 (建築家)14

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