KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年3月号
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帆銅鐸の大発見も、その裏付けとしてかなり強力でしたね。特に銅鐸はまるで申請のタイミングに合わせて出土したかのようで、まさに神がかっていたと思います(笑)。─食の魅力はどのようにストーリーに織り込まれていますか。時枝 御食国は淡路のほか若狭と志摩の三つあったそうですが、淡路はその中でも物資が多く都へ運ばれていて特に重要視されていたそうです。その理由は、淡路では塩が作れたことや操船技術に長けた海あま人によりしっかりとした海路があったことなどが考えられます。また、豊かな大地が海を育み、好条件が揃っていたようです。今でも三毛作や四毛作が可能なのは、土地の肥沃さと人々の勤勉さがあってこそだと思うのですが、その勤勉さは日本人の根底にあると思えてなりません。そういうことを含めて、御食国になるべくしてなったのでしょう。世界的にも稀に見る豊かな島ではないでしょうか。─海人とはどんな人たちですか。時枝 海人は日本人の原点で、その頭領が伊弉諾大神ではないだろうかということです。非常に技術に長けた民族で、塩をつくっていたということは火を操る技術があり、炭をつくる技術もあった訳で、そこから鉄をつく国生みの偉業を果たした伊弉諾尊と伊弉冉尊筆:栗田真秀蔵:伊弉諾神宮伊弉諾神宮を中心に所縁のある伊勢神宮や出雲大社などのお社が建つ30

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