KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年3月号
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ワードとは華やかで彼らしい。彼の兄、白洲尚蔵(17回生)もサッカー部でプレー、ゴールキーパーだったそうだ。 白洲尚蔵からキーパーグローブを受け継いだ繁多龍平(19回生)は、開港の時代に神戸の近代化に尽くしたE・H・ハンターの孫にあたり、祖父の血を継いで長身だったようだ。卒業後は慶應義塾に進学し、ソッカー部(慶応では今でもサッカー部ではなくソッカー部という)の創設者の一人として名を連ねている。慶応ではイギリス植民地のビルマ(現在のミャンマー)出身でスコットランド人からサッカーを学んだと推測されるコーチ、チョウ・ディンの指導を受けるだけでなく、神戸一中の後輩たちへも指導するように取り計らい、神戸一中はチョウ・ディン仕込みのショートパス戦法で強豪の仲間入りを果たしたという。チョウ・ディンは全国をコーチとして巡回、日本サッカー草創期での技術の伝授が評価されて日本サッカー殿堂に選出された。 賀川浩、チョウ・ディンのほかにも、日本サッカー殿堂入りを果たした神戸一中サッカー部ゆかりの人物が5名いるが、いずれも賀川浩とともに黄金期を支えた逸材ばかりだ。二宮洋一・大谷四郎・賀川太郎(賀川浩の兄)はいずれも河本春男の指導を受け、後に日本代表で活躍。岩谷俊夫・鴇とき田正憲も日本代表経験がある。大谷と岩谷はサッカー記者や指導者としてもサッカー界に貢献した。 神戸高校になってからも第13代日本サッカー協会会長の大仁邦彌、国際審判員としても活躍した元兵庫県サッカー協会会長の長岡康規など多くの優秀な人材を輩出している。 ジュニアからINAC神戸、VISSEL神戸と、神戸のサッカーは熱い応援に支えられている。語り出すと止まらないサポーターが身近にあふれている神戸は、奮闘の楽しい夢を見させてくれる。賀川 浩(かがわ ひろし)スポーツライター1924年、神戸市に生まれる。神戸一中、神戸経済大(現・神戸大)大阪クラブなどでサッカー選手。全国大会優勝、東西対抗出場、天皇杯準優勝などの経験をもつ。1952年からスポーツ記者、1975年から10年間のサンケイスポーツ編集局長(大阪)などを経て現在フリーランスとして、現役最年長記者。ワールドカップの取材10回、ヨーロッパ選手権 5回、南米選手権1回。2010年日本サッカー殿堂入り、2015年FIFA会長賞受賞2011年6月号掲載※敬称略※兵庫県立神戸高等学校鵬友会発行の『鵬友』、賀川浩「戦前のサッカー育成」(講演資料)、賀川浩サッカーライブラリーホームページ、兵庫県サッカー史 ウェブサイト、日本サッカー協会ホームページなどを参考にしました。17
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