KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年2月号
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を建て改めて祀ってもらいたい」という神託があり、それを受けて漁師とその仲間が現在地にお祀りしたのが西宮神社の起源とされている。 「蛭児の神」とは伊いざなぎ邪那岐と伊いざなみ邪那美の子。3歳になるまで足が立たなかった不具の子で、伊邪那岐と伊邪那美は不憫に思いながらも葦船に入れて茅渟の海へ流した。にもかかわらず、再び茅渟の海から力強くよみがえったことから信仰を集めるようになった。当初は漁業の神だったが、やがて航海、交易、そして商売の神として尊信を受け、室町時代には広く庶民に親しまれていたという。 民間信仰を起源とするえびす様は、それだけ人々の生活に浸透しているといえるだろう。経営の神様、松下幸之助の邸 西宮神社の南を囲む塀、大練り塀の材料となる土を掘り起こした場所はいまのニテコ池だが、そのほとりに居を構えたのが経営の神様とよばれたパナソ「光雲荘」建築にあたり、幸之助は「生涯に一度の贅沢」と話したと伝わる。写真提供/パナソニック広報部26

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