KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2017年2月号
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神戸一中サッカー部と河本春男 命がけの奮闘。全身全霊の緊張。その間に感じる、ゲームの妙味─。サッカーは世界で最も愛されているスポーツだが、世界へとつながる港町、神戸は日本におけるサッカー発祥の地で、諸説あるが明治5年(1872)に居留地ではじめて試合がおこなわれた。その14年後に日本で公式にサッカーの試合が行われ、「KR&AC(神戸レガッタアンドアスレチッククラブ)がYC&AC(横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ)」を2対1で下している。 ゆえに、神戸では早くからサッカーが定着。なんと戦前の中学校(師範学校も含む)の公式全国タイトル18のうち11は兵庫県のチームだった。兵庫大会の決勝戦は事実上の日本一決定戦だったそうだ。中でも強豪だったのが御影師範(神戸大の前身)、神戸一中(現在の神戸高校)、神戸三中(現在の長田高校)で、甲陽や灘からも日本代表を輩出するなどレベルが高かった。 神戸一中のサッカー部は神戸尋常中学校時代の明治29年(1896)に「蹴鞠会」として結成されたが、これは全国的にみても早く、イタリアのプロリーグ、セリエAよりも歴史が古い。 そんな神戸一中サッカー部をさらなる高みに導いた教師が河本春男だ。河本は明治43年(1910)愛知県生まれ、連載 神戸秘話 ②瀬戸本 淳(せともと じゅん)株式会社瀬戸本淳建築研究室 代表取締役1947年神戸生まれ。一級建築士・APEC アーキテクト。神戸大学工学部建築学科卒業後、1977年瀬戸本淳建築研究室を開設。以来住まいを中心に、世良美術館・月光園鴻朧館など、様々な建築を手がけている。神戸市建築文化賞、兵庫県さわやか街づくり賞、神戸市文化活動功労賞、兵庫県まちづくり功労表彰、姫路市都市景観賞、西宮市都市景観賞などを受賞文・瀬戸本 淳 (建築家)22
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