KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2016年12月号
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「北野町」の由来になった北野天満神社「北野町」の名前の由来とは? その起源は北野天満神社にあると考えられている。佐藤典久宮司に、「北野町」の名前の由来や、少年時代の思い出などについてお話を伺った。北野村の鎮守として崇拝された北野天満神社 北野天満神社は、治承4年(1180)に創建されたと言われています。平清盛公が福原京をつくったとき、都の守り神として京都の北野天満宮の御分霊をこの地に祀ったのが始まりです。天神さんというと学問の神様というイメージがあると思いますが、もともと天神信仰とは菅原道真公の怨霊を鎮めるために始まっていますので、厄除けや災難除けの力があるとされていました。それで、福原京の鬼門にあたるこの場所に建立されたのです。逆に言えば、この神社の場所から当時の都の中心が推し量れます。文献が残っていないので推測の域を出ないのですが、もともとは祠だったのではないかと思います。 江戸時代初期にあたる慶長17年(1612)に検地のために作成された『北野村新開検地帳』を見ますと、既に「北野村」と記されています。そう考えますと、北野天満神社が北野町の前身である北野村の名前の由来になったと考えるのが自然です。現在の神社の規模になったのは、江戸時代中期頃だと考えられています。北野村の鎮守として崇拝されていたのではないでしょうか。外国人が多く暮らしていた街 父の話によれば、かつて北野町には大きなお屋敷が点在していたそうです。ハンター邸に関し北野天満神社 宮司佐藤 典久 さん1971年、神戸生まれ。皇學館大學神道学科卒業後、広島県宮島、厳島神社に奉職。1997年北野天満神社禰宜、2000年同神社宮司拝命、現在に至る。北野国際まつり等を通し、世界宗教の相互理解、心の国際交流を理念に活動中 北野町の高台に静かに佇む北野天満神社28

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