KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2016年12月号
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ち、たんぽぽのように世界に飛んで行き、そこで根を下ろし、また咲いてください」という思いが込められているそうです。365個のライトは震災後も点し続け、帰って来た方から「北野は健在だと分かってホッとした」と言っていただきました。住民の意識を変えた『風見鶏』ブーム 昭和52年(1977)、ドイツパンのお店「フロインドリーブ」をモデルにしたドラマ『風見鶏』がNHKで放映されました。これを機に観光客がドッと押し寄せました。異人館で外国人が暮らしている街が、そのままスタジオを見るような面白さと、急な坂を上ると海と港が見渡せて、朝夕は汽笛が聞こえてくるエキゾチックな雰囲気が魅力だったのでしょうね。 ところが、道は狭い、駐車場はない、ごみ箱はない、トイレがない等々、受け入れ態勢が何もないのですから、住人は大変。塀を上って中をのぞき「あっ!日本人や」などと言われて(笑)。「何とかしなくては」と「北野・山本地区をまもり、そだてる会」が結成され、ごみの処理や掃除を始めました。当初は「何でこんなことを住民がしなくてはいけないの?」という思いとの葛藤がありました。 しかし、この光景が、北野、山本地区の歴史的価値を住民が再認識するきっかけになりました。価値を認めて観光客が来てくれるのですから、街の掃除や整備も「おもてなし」という気持ちに変わっていきました。そして震災後、観光客の足が途絶えたときも、何とか元の賑わいを取り戻そうと強い意志をもって立ち上がりました。北野町は観光化が進んだことで、街がひとつになり、活気をもたらしたと感じます。さらに現在では、住宅地、観光地、商業地としての棲み分けを大切にしながら発展してきたエリアだと感じます。いつの時代も、私たちの気持ちはウエルカム! 歩いてみると分かるように、北野町には異人館だけでなく立派な日本家屋も多く残っています。まさに明治の初めに国が定めた「雑居地」です。日本人と外国人が混在する和洋折衷の街。人種も宗教も全てが混在しています。世界ではたったひとつの宗教であんなに戦争をしているのに、この狭いエリアにいくつNHK連続テレビ小説「風見鶏」(放送期間:1977年~1978年)和歌山県太地町で生まれた主人公が、神戸でドイツ人のパン職人と結婚するものの、戦争で生き別れ、その後、本格的なパン作りに情熱を傾ける姿を描いたドラマ。外国人から、「われらの母」と慕われる女性の一代記26
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