KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2016年12月号
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国際色豊かな、北野町の暮らし北野町には、外国人と日本人が共に暮らす、自然な光景があった。この地で事業を手がけられ、ご自身も北野町に住まわれている、浅木隆子さんに、北野町の歩みやこの地に暮らす魅力について伺った。神戸港開港が、北野にとって大きな転機に 2017年に開港150年を迎える神戸。開港後、外国人たちが住居を建てるための「雑居地」として国から指定されたことが北野村にとって大きな転機になりました。 それまでこの地域は、三本松のお不動さんと一宮神社、浄福寺を中心に形成された人口250人ほどのごく普通の村で、田んぼや畑、その間に細い畦道があったようです。残っている明治初め頃の写真を見ると、海に向かって生田神社と競馬場、他には海岸しか見渡せません。他にもいくつか候補地がある中から、こんな急な坂道の上を外国人たちは何故選んだのでしょう?田畑と細い道しかないので広い敷地が確保でき、大邸宅を建てやすかったこともあるでしょうね。 また、高台の邸宅から、自分の国や会社の船が港に入って来るのを確認して、ゆっくりと坂道を下って居留地のオフィスへ向かうことができたことも、仕事をする上でとても好条件だったのではないでしょうか。 元々、開放的でいろいろなものを受け入れる神戸人気質ですから、外国人が好む野菜を農家が作り始めたり、万国病院(現・海星病院)ができたり、いくつもの宗教の教会や寺院ができたり、外国人が住みやすい環境へと順応していったようです。北野町に嫁いで、暮らすことになった「異人館」 私が北野町に嫁いで来てから、今はオフィスにしているこの異人館に住むようになりまし北野・山本地区をまもり、そだてる会 会長アサキインターナショナル株式会社代表取締役副会長浅木 隆子 さん浅木邸。昭和53年24

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