KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2016年12月号
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右に見えるのが生田の森(現在の生田神社)、その左にあるのは競馬場。その上には居留地が見える。明治4年。写真提供/横浜開港資料館外国人の子供たちが遊ぶ姿が頻繁に見られた。昭和40年代もそのエリアに含まれ、外国人たちが住みはじめた。明治初期には7軒ほどの外国人住居があったという。 北野・山本地区が発展するのは明治20年代。トアロードが開通し、街路整備により街の基盤が整ってからである。以降、明治20年代後半から明治30年代を中心に、大正初期にかけて装飾的な外国人住宅、いわゆる異人館が盛んに建てられ、その数は約200棟にものぼった。 やがて異人館は戦災を逃れたものの、高度経済成長の渦に巻き込まれ、その多くが取り壊されビルなどに姿を変えた。一方でその一部が保存され、阪神・淡路大震災で大きな被害を受けたものの修復されて、今なおその美しい姿で街を彩っている。21

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