KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2016年12月号
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風見鶏の館の前を外国人の親子が散歩する。昭和40年代写真提供/浅田浩神戸のエスプリを感じる、北野町 ひっきりなしに人々が行き交う三宮駅から北野坂へ。山手幹線を越えるとゆるやかだった坂がにわかにその角度を増し、落ち着いた並木道に涼やかな風が吹き抜けていく。仰げば山の緑まぶしく、紺碧の空に綿のような白雲がふわり。最後の急坂を登り、振り返れば海もまた碧く、汽笛が潮風に乗って届く。 ここ、北野町界隈はまさに神戸のエスプリを感じる街。クラシカルな異人館が地元の人々によって愛され、守られている。近年では単に保存するだけでなく、レストランやカフェなどとしても活用され、その趣に満ちた空間を楽しむこともできる。 エスプリの根底には、この街の歴史がある。明治時代中頃に外国人たちの住まう住宅地として開発され、トアロードを馬車で通い、居留地の職場へ通うという優雅なライフスタイルがあった。そして、母国を離れて暮らす彼らが見晴らしの良い高台に家を構えたのは、もしかしたら海を望むことではるか遠い故郷とつながりを感じるためだったのではないだろうか。エレガントな生活と望郷の思い。華麗さに淡い郷愁が滲むこの土地の記憶が、いま文化として輝いている。北野の歩みとその価値 かつてこのあたりは、山裾ののどかな農村であった。東西に走る古道のちょうど峠にあたるところに三本の松があり、旅人の目印になっていたと伝わる。 変貌を遂げるのは明治時代。慶応3年(1868)に開港した神戸では、外国人の居住は居留地に限られていたが、政情不穏などによる工事の遅れなどにより居留地内に住居を確保できず、政府は開港のわずか4か月後にやむなくその周囲を雑居地に指定。北野町界隈北野の歴史と邸宅街としての真価19

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