KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2016年11月号
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旧西宮町の区域では、市街中心部の周辺から耕地整理がはじまった。夙川左岸の省線(現在のJR)と阪急に挟まれた一角は、大正10年(1921)に結成された西宮第二耕地整理組合により区画整理がおこなわれ、大正13年(1924)に約30ヘクタールが碁盤の目のような整然とした街区へと生まれ変わる。この新しい街には早くからインテリや文人、ホワイトカラーたちが居を構えた。 このエリアの西北部分にはかつてお地蔵さんや五輪塔が多くあり、そこから仏の寿命が想像を超える長さであることをいう「無量寿」より一字を戴き寿町と名付けられた。寿町の東側は町域が末広状になっていることから末広町に、その少し南は町域の中央にある老樹の一本松から常緑や不変を意味する「常磐」が町名になったようだ。 そして千歳町は北側を寿町と接し、町域の西にあたる夙川の堤に長寿のシンボル、松が生い茂っていたことからその名が付いたという。 千歳町やその周辺の町名にはめでたい名前が多い。そこには、新しい街が末永く幸福の舞台になってほしいという先人たちの願いも込められているのかもしれない。住宅地の中にカトリック夙川教会が見える。昭和29年(1954)頃。西宮市情報公開課所蔵千歳町からカトリック夙川教会を望む。昭和49年(1974)頃。西宮市情報公開課所蔵邸宅地として整然とした街区に生まれ変わった31
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