KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2016年11月号
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“美しさ” に包まれて夙川千歳町の暮らし千歳町について夙川のせせらぎの東、阪急とJRに挟まれた一画には縁起の良い地名が多い。それはなぜだろう?近代に産声を上げた千歳町とその周辺の起源を紐解いてみよう。夙川ShukugawaShukugawa阪神間は明治末期から大正にかけて、空気と水清らかで健康的な環境、かつ景色も良く、工業化で煤煙の街だった大阪から富裕層や知識層が移り住む郊外住宅地として発展する。その後押しをした阪神・阪急という2つの私鉄が走る西宮もまた人気を集めて住宅需要が増すと同時に、都市化が進行して市街のコアも膨張していった。ゆえに土地利用の高度化は待ったなしの状態になり、それまで田畑が広がっていた土地を区画整理することにより計画的な市街地開発が実行される。当時は大正8年(1919)に都市計画法が施行されていたものの、実際の土地整理については耕地整理法を準用して耕地整理という名目でおこなわれたという。閑静な街並みを形成する現在の千歳町30

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