KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2016年11月号
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の『卍まんじ』の舞台も香櫨園辺りです。阪急の北側は緑が多くて木陰のイメージ。その中間の阪急とJRの間は、堤が小高くなって武庫川までの西宮市街を一望できます。ほんの3キロメートルはどの間にいろいろな景色が開け、作家たちが舞台に選びたくなるのでしょう。井上靖に「小説の冒頭はいつも夙川にしてしまう」と言わせたほどです。 戦前から豪邸だけではなく高級アパートもあった夙川辺りは住む人もバラエティーに富み、物語のネタにするモデルが豊富だったこともあります。『細雪』では四女が一人暮らしをするという設定で登場し、恋愛模様が生まれます。 景色の変化を楽しめる川沿いを散歩する人が多いのも夙川。湯川秀樹博士も歩いて気分転換をしていたそうです。ジャーナリスト文士が選んで住む 阪神間には何故多くの文化人が住むのか?震災後、東京から移り住んで来たといわれているのも確かです。しかしそれ以前、阪神が開通した明治の終わりから大正にかけ、薄すすきだきゅうきん田泣菫、菊池幽ゆうほう芳をはじめ、作家や詩人が住み始めました。後の井上靖も含め、大阪で毎日新聞社に勤めていた彼らは住居を阪神間に求め、夙川を選びました。ジャーナリスト出身の文士が多く住み、大人の文学が成熟するという下地が既にできていたのです。地元の公立小中学校校歌の作詞者にその名前を見ても納得できます。 キネマ旬報の編集拠点が香櫨園にあり映画人も住み、小松左京が育ち、画家の須田剋太がアトリエを置き、歌舞伎役者も居を構え…、今でもいろいろなジャンルの著名人たちがこの夙川を選んで暮らしています。近代の文学や文化にこれほど関わり続けている川は全国でも珍しいのではないでしょうか。村上春樹氏の小説にも登場する昭和30年代の葭原橋(あしはらばし)。西宮市情報公開課所蔵井上靖などが新聞記者時代に過ごしたことで、“大人の文学”が成熟した 「近代文学で、夙川ほど文学に登場する川は全国でも珍しい」と河内さん29
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