KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2016年10月号
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【天下人、秀吉が愛した湯】【日本三名泉】秀吉は天正11年(1583)から文禄3年(1594)まで9度有馬をたずね、お湯に浸かっています。秀吉は有馬で豪華な宴を開いたそうです。秀吉は関白となった天正13年(1585)には大茶会を開催、石田三成、大谷吉継などの近臣や千利休、今井宗久といった茶の湯の匠が参加しています。さらに天正18年、まさに天下統一を成し遂げたその直後にも、大茶会を開いて、小早川秀秋や千利休といった秀吉を支えた人物を招き、その労をねぎらいます。天下人となった秀吉は、万感の思いで湯を愉しんだのです。慶長元年(1596)に有馬は大地震により壊滅的な被害を受けます。その報を聞いた秀吉は、有馬の本格的な改修工事を命じ、それがその後の有馬の繁栄の礎となります。有馬温泉は古くから、良質な温泉として知られていました。平安時代の女流作家・清少納言は『枕草子』の中で、「ななくりの湯(現在の場所に諸説あり)」、「玉造の湯(島根)」とともに有馬の湯を評価。江戸時代の儒学者・林羅山は、「草津温泉(群馬)」「下呂温泉(岐阜)」とともに日本三名泉のひとつに選んでいます。有馬温泉は、環境省が療養泉として指定している9種の主成分のうち7種が混合した世界的にもまれな温泉で、古来より人々はその素晴らしさを感じ取っていたのでしょう。有馬温泉がスゴイ理ワケ由26

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