KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2016年8月号
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ウエディングケーキの入刀を行う私の母は、兵庫県の小野の出身で、三木に洋裁学校を経営しておりたくさんの生徒をもっていました。戦後、男たちが戦争に行って帰らない中で、女性たちはなんとか子どもたちを食べさせ、その次はきちんとした着物を着せて礼儀正しく育てていこうとしました。また女性が世の中に出て働くためには洋服が必要でしたから、洋裁学校の役目は大きかった。母の洋裁学校は三木にあって、三木から名付けた「スリーウッド洋裁学校」というハイカラな名前の学校でした(笑)。洋裁は女性たちが生きていく術だったんです。そんな昭和の多くの女性たちをモデルにした「窓子」という姫路の女性を登場させました。 小説の冒頭で、「窓子」が姫ウエディングドレス姿の玉岡さんを囲むファンの皆さん路城を眺めるシーンが出てきます。姫路城は、戦争で3回爆撃されましたがそれらは3発とも不発弾で、燃えずに残ったお城です。これは奇跡か、神様か仏様か見えない力が働いたのでしょう。これは第一次・第二次世界大戦で焼け残ったイタリア・ミラノの絵画「最後の晩餐」に通じます。宮本百合子が『播州平野』という名作の中で、焼け野原の姫路でお城だけが残っているシーンを書かれていますが、私は新たな『播州平野』を書かなあかんという意気込みを込めて、姫路を舞台に選びました。姫路のヒロインの洋裁学校は、スリーウッドの私の母を真似て、姫路の“姫”、「プリンセス洋裁学校」という名前にしました(笑)。 日本は、女たちががんばって戦後の復興をなしとげました。編集者が、これを読んで「女の自立の物語だ」と言ってくれましたが、私は花嫁衣裳を通じた女の昭和史を書いたと思っています。男性に読んでいただいても、母たちの世代がいかに偉かったかを追想していただけるかと思います。今回はそんな戦後を舞台にして、東京弁と京都弁、播州弁の2人の主人公と、“語り”という方法で書きました。私の文学史の中でも大きな記念になる作品になったと思います。次回作までにはまた2年ほどかかると思います。(6月26日「ブラインカフェ」にて)19

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