KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2016年7月号
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竹内才次郎邸(現存せず)島津利光邸(現存せず)中浪義夫邸(現存せず)参考資料/福嶋忠嗣・著『芦屋の和洋館よ とわに』竹内才次郎邸の1階玄関ホール(現存せず) 竹内邸をはじめとする別荘や郊外住宅ができて、それに引っ張られる形で別荘や邸宅として洋館が建つようになっていきます。また、大正期に省線の芦屋駅や阪急芦屋川駅が開業したことも、その大きな要因になり、東芦屋の集落から山手へ東へ、東山町あたりへと開発がシフトしていきます。竹内才次郎邸のほかにも小野邸、西川邸、中浪邸、夏川邸、島津邸などの洋館が加速度的に建ち並んでいったのです。残念ながらいずれも今はもう現存しません。小野邸や西川邸はスパニッシュミッションスタイルの洒脱な洋館でした。 これらを文化的に支えたのが、阪急線を挟んで南側の田中千代服装学園であり、芦屋山手教会であり、芦屋甲陽幼稚園だったのです。芦屋甲陽幼稚園は尖塔付のチャペルがあります。邸宅街の子女たちがここで学んでいたのですが、それが東芦屋や東山町のもつポテンシャルを象徴していると思います。 東芦屋から東山町にかけてのエリアは、夢を芦屋に求めた人たちが愛した地なのです。夏川浩邸(現存せず)43
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