KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2016年7月号
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 現在の芦屋市域には、打出、芦屋、三条、津知の4村が戦国時代までに成立していた。江戸時代には京から内陸を通ってきた西国街道が浜へ出て、本街道(現在の国道2号あたり)浜街道(現在の国道43号あたり)に分岐する打出が街がいそん村として大いに栄えた。明治初期になると行政区画として打出村、芦屋村、三条村、津知村が誕生、明治22年(1889)にこれら4村が合併して精道村となり、やがて昭和15年(1940)に芦屋市になる。 現在の東山町~東芦屋町にかけてのエリアは、六甲山系が東南へ舌のように突き出た部分にあたり、明治後期の地形図によれば山の端は針葉樹林で、丘の上に果樹園が見られ、平地になったところは水田やため池が確認できる。つまり、のどかな里山の風景が広がっていたようだ。里山から邸宅街へ芦屋と東山町周辺の歴史美しい花々は東山町の地元住人の手によるもの(東山公園)芦屋山手のフロントラインになる東山町。ホテル竹園芦屋から望む38

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