KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2016年6月号
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進取の街・神戸での学生時代株式会社文藝春秋 前代表取締役社長神戸市外国語大学 客員教授1970年 英米学科卒業平尾 隆弘 神戸は、日本における映画興行発祥の地である。明治29(1896)年――外大創設の半世紀前になる。映画だけではない。水族館、ゴルフ、パーマネント、花時計等々が神戸から生まれた。ラムネもパン屋もジャズバンドも神戸発。進取の気性に富んだ街なのだ。 誰の心にも懐かしい土地があるに違いない。神戸はわが懐かしき街。学生時代ワンダーフォーゲル部だったから、六甲は文字通りホームグランドであった。上京後、横浜を訪れたとき、「山が見えない、山が!」と落ち着かない気持になったものだ。雑誌編集者の頃出しゅったい来した震災は、とても他人事ではなかった。司馬遼太郎、山崎豊子、田辺聖子、陳舜臣、藤本義一、宮本輝……関西在住の作家たちは、一様に衝撃を受けておられた。 人も街も、懐かしさだけでは生きられない。神戸が、進取の気性を忘れずに、強くアピールできる存在になればと切に願っている。勉強でも何でも楽しんだ者が勝ち外務省 情報分析官神戸市外国語大学 客員教授1990年 中国学科卒業岡田 勝 神戸市外大には、今も感謝の気持ちでいっぱいです。専攻の中国語については、入学直後の厳しい発音指導から始まり、日常会話から古典文学まで様々な中国語を学ぶことができました。神戸市外大の中国語は、社会の各分野で高い評価を受けています。また、語学以外の授業も非常に充実しています。私は、3年生からは、法経商コースを選択し、憲法、国際法、民法、経済学、金融学などの授業を受けましたが、そのレベルは非常に高く、国家公務員試験だけではなく、外務省に入ってからの実務にも大いに役立っています。 神戸市外大は、大規模な総合大学とは異なりアットホームな雰囲気があります。私は中国研究会に所属しましたが、年に一度の語劇などを通じ、非常に充実した大学生活を送ることができました。なお、私の妻は、私が3年生になったときに新入生として入ってきた中国学科の後輩であり、神戸市外大は「仲人」でもあります。 私は1990年に神戸市外大を卒業して外務省に入ってから既に26年あまりになりますが、2年間の北京大学での在外研修及びこれまで3回で合計約10年になる北京の大使館勤務を含め、ほとんどが中国関係の仕事に従事してきました。25

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