KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2016年4月号
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などでバックアップすることが大事なこと」。私にとってはたとえ同年代の選手の皆さんであろうとも、あくまでも私たちは裏方です。これは必ず守らなくてはならないことと肝に銘じてきました。―昭和61年(1986)「ホテル竹園芦屋」として再スタートすることになったのは何故ですか。福本 当時の国鉄芦屋駅前は大原市場や個人商店が並んでおり、道の舗装もままならない状況でした。竹園旅館は何棟もの建物が点在し、合わせて約千坪の敷地となっておりました。実は、私が生まれたのもそのうちのひとつ、七番館です(笑)。芦屋市が、「このままでは時代の流れについていけない」と芦屋駅前再開発を決めたのが大きな理由です。竹園旅館も時代の流れに沿って「ホテル竹園芦屋」として新生オープンしました。それは精肉店「竹園」という核(コア)な部分があるからこそできたことだと思います。―精肉店竹園といえば、誰もが知っているコロッケ。美味しさは変わりませんね。その歴史は?福本 創業当時に遡ります。まだお肉が高級品で毎日買いに来られるお客さんは少なかった。毎日お越しいただくために何とかしなくてはいけないと始めたのがコロッケでした。竹園のミンチをふんだんに使い、シーズンごとに仕入れの地域を変えているじゃがいも、甘味が凝縮した淡路の玉葱、それぞれ素材の良さをバランスよく引き出さないと目指す味にはなりません。当初の趣旨をそのままに、毎日食べても飽きないシンプルで素朴な味。特徴がないのが特徴です。美味しい「竹園のお肉」に至るまでこだわりのプロセスがある―厳しい目をもつお客様が多い芦屋で70年、愛され続ける理由はどこにあるのでしょうか。福本 芦屋で商売に成功したら、東京でも全国どこでも通用するといわれています。それほど芦屋のお客様の目は厳しく、私どももその厳しい目で鍛えていただいています。そのお陰で、仕事への取り組み、料理へのこだわり、コアであるお肉へのこだわりが磨き上げられ、70年という伝統と歴史を築くことができたと思っています。芦屋の住民の厳しい目で鍛えられ、磨きぬかれ70年。伝統と歴史を築くに至った精肉店「竹園」生産農家、血統、肉質と脂質のバランス、熟成のすべてにおいて、竹園独自の条件をクリアしたお肉だけを提供12
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