KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2016年3月号
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 昨年春に淡路島から出土した「松帆銅鐸」はじめ、これまで淡路から出土している銅鐸は、古い型の銅鐸ばかりです。古い型は祭祀の際に音を鳴らすなどしていたと考えられる「聞く銅鐸」です。銅鐸は新しくなるに従って装飾が豪華で、大きなものになり、それらは「見る銅鐸」へと変化します。このたび出土の銅鐸すべてに、内部に音を鳴らすための舌ぜつがつき、銅鐸内部の裾の付近が磨耗していることから、舌「神まつりの源流」が淡路島に淡路と出雲、神話の舞台をつなぐものとは今回の「松帆銅鐸」発見について、地元の研究者はどのように考えているのか。厳島神社宮司であり、島内の遺跡調査に携わる浦上雅史宮司にうかがった。浦上 雅史(うらかみ まさふみ)洲本市立淡路文化史料館 元館長、日本考古学協会会員厳島神社 宮司1953年、兵庫県生まれ。1976年、立命館大学文学部史学科卒。1977年、國學院大學神道学専攻科卒。1978年、洲本市教育委員会文化財専門職員となる。洲本市教育委員会社会教育課長、洲本市立淡路文化史料館長として2013年退職。で実際に音を鳴らしていたということが確認されました。 こういった古い型の銅鐸は、これまで島根県出雲市神かんばこうじんだに庭荒神谷、福井県井いのむかい向からしか出ていません。淡路の場合、舌がついたままでの出土でしたから、「銅鐸の機能を保持したまま埋められた」というのが、淡路独特ではといわれています。 島根県では、前出の荒神谷の近くの加茂岩倉遺跡から、39個もの多数の銅鐸が発見されています。 また、荒神谷遺跡では銅鐸とともに、青銅の武器である「銅剣」358本と、銅矛16本が発見されました。淡路の松帆では同じ慶野松原から銅剣14本が発見されています(古こつろ津路銅剣)。青銅の武器も銅鐸と同様に神器だったのでしょう。銅鐸と銅剣が近くに埋納されていたということは、私は銅鐸が地の霊、豊穣の霊を祀る神器で、銅剣や銅矛は邪悪なものを祓う神器であったと考えています。淡路の弁天さんと親しまれる厳島神社24

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