KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2016年3月号
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付属品と共に入れ子状態で発見―7つの銅鐸発見のきっかけは。和田 南あわじ市松帆地区から採取された砂を加工処理中、作業員の方が「砂の中に何か変わったものがある」と気付いたそうです。一つはベルトコンベアーに乗ってきたとか…。遺失物として扱われた後、最終的には、兵庫県を経て、南あわじ市への帰属となりました。紛失、散淡路島の歴史に新たな発見が松帆銅鐸の調査・研究始まる昨年4月、南あわじ市で出土した「松帆銅鐸」の調査研究が本格化する。「数十年に一度」とも言われる貴重な発見から見えてくるものは?兵庫県立考古博物館の和田館長にお聞きした。和田 晴吾(わだ せいご)兵庫県立考古博物館 館長1948年、奈良県生まれ。1975年、京都大学大学 院文学研究科 考古学博士前期課程修了(文学修士)。1977年に京都大学大学院 文学研究科 博士課程中途退学後、京都大学助手、富山大学人文学部助教授、立命館大学文学部助教授、立命館大学文学部教授などを歴任し、2013年に立命館大学名誉教授(特任教授)就任。古墳時代研究の第一人者で古墳時代の石棺研究の権威逸せずに後世へ伝えることができたのは非常に幸運だったと思います。―まとまって発見されたのは珍しいことなのですか。和田 非常に珍しいことです。島根県の加茂岩倉遺跡での39点、滋賀県の大岩山遺跡での24点、兵庫県の桜ヶ丘遺跡での14点に次ぐ、全国で4番目に多い出土数です。銅鐸は鐘状の本体を吊り下げ、その中に吊した棒状の「舌ぜつ」を本体に当てることで音を出す楽器です。今回は保存状態が非常に良く、それぞれの舌が出てきただけではなく、本体を吊り下げる紐や、舌を吊す紐も奇跡的に残っていたので、たいへん驚きました。日本で初めてです。7点のうち3組6点は大きな銅鐸の中に一回り小さな銅鐸がはめ込まれた「入れ子」という状態で発見されています。兵庫県立考古博物館では、「松帆銅鐸」の最新情報を紹介し、3月27日まで実物5点が特別公開される20

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