KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年9月号
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しあわせな家一挺磯江朝.子(歌人)l卵I叔母の年忌に、前の日から泊りがけで田舎の家に行ったが、近親者たちが方々からきていて、その夜は久しぶりの集まりになった.話もはずんで、家族たちのことも問いつ問われつであったが、その折り一人の従妹が、「お前を妻にしていてよかった.とにかく飽かないからな」というのよ・といい出したものだ。夫の懐柔策でなく、心からの言葉とすると、妻としての従妹は、女として最上のできということがいえる。とくに彼女の夫は、ある大会社が力を入れている課の若き課長に数年前になっているのだ。いえば花形的存在であり、遊べばもてる立場にいるわけである。とりたてていう程の美人でもない従妹が、結婚生活十幾年の現在に至るまで、家庭に風波をおこさせないことは、本人の才知がさせたことは勿論であるが、彼女が育った環境が幾分かは、人柄としての明朗さを身につけさせたことも考えられる。彼女は今ゑんなに羨ましがられる生活をしている。しかし彼女の夫がそうしたやり手でなくても、どんな立場の人でも明るい家庭を築きあげていただろうと思う。現に彼女の姉がそのいい例で、妹の家庭のような派手な生活者ではないが、明朗さという点では妹にひけをとらぬ家庭のふん囲であり、子供たちは秀才で、高校から大学にすぽっとパスしている。大学生であるその子供たちの素直さは、やはり家庭の環境からと思われた。この家庭環境の明暗が如何に人間を左右するか、その夜の話題にもなった。「結婚は人生の墓場」と誰れがいい出したか、祖母達の長い経験から割り出されたものでもあろうか。甘美な一時の興奮から覚め、夢や希望が色あせてくるとそこにあるものは家族というきづなの承といった人たちも案外いるのではないでしょうか。従弟もその一人で、最年少で東大を出、夢と希望にふくらゑ、結婚もしたのですが、その親たちが一諸に住むようになってからは、若い一人の男性としての仕事が押し

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