KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年9月号
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意し努力し、成功者に成ろうとするが、夜の世界のことは無視されがちである。しかし、人間の幸福とは案外、夜の世界と関係が深いものである太陽が西へ沈んでから朝までの長い時間を、快眠もとれず悩承苦しむ人は、如何に昼の世界の成功者であっても、不幸限りない人である。若者よ!昼の世界の成功者になると同時に、夜の世界での幸福者に成らんことを祈る.中西咲子まことに愛されるということ程うれしいことはございません。いつまでも、終りなく愛されるために、私どもは結婚というたいへん大きな重荷を、背負いこゑますがかって、自由の身の渇望の辛さと思い合わせれば、それが、吾が身を飾る幸福な着物にちりばめた、縞麗な宝石の重承だと、すぐに気がつくことでしょう。そう申せば、結婚は「着物」でございますね。「性」は美しくても、はだかで街は歩けません.「私着物に趣味はないわ」などとそつけのないことを仰言らずにいい色の着心地よい着物をあなたの愛情と家計簿で創り出していらっしゃれば、I結婚万歳、愛されること万歳でございますね。おめでとうございます。(画家)古林喜楽結婚式当日の式なり、披露でのゑんなの話をテープにとっておいて時々二人できき感激を新らたにしなさい。予算があればスライドででも(八ミリならもう一つよろしい)カラー・フィルムをとっておいて、時々二人で眺めなさい。(神戸大学教授)が気の毒になってしまいました。さて、旅行も二分の一が過ぎて新鹿沢から夢科へ向うコースでは上州三原から草軽電鉄に乗りかえて中軽井沢へ出る予定でした。しかしここでも計画の奇抜さがたたって・ハスの到着が遅れ、電車に乗り遅れてしまいました。この電車に乗れないと中軽井沢で列車に間に合はないので困っていると、土地の人が「浅間高原・ハスが今日から走っているから、それに乗んなさい」と教えてくれ、勇躍乗り込んだしだいです。おかげで浅間のすばらしい景色が見られ大喜びしました。(この旅行では土地の人の親切が、大へん嬉しく感じられました)旅館では新鹿沢の「鹿沢館」に宿まりましたが、大へん感じのよい宿でした。ただ二日目に、どこかの中学生の修学旅行と同宿になり生徒の行儀が悪く、新婚旅行というのがわかったのか、私たちの部屋のフスマを、そIときて、サッと開けてはダダ…と走って逃げて行くのには弱りました。始めは子供のすることだからと苦笑いしてましたが大勢でそれも相当にひっこいのでこちらもとうとう腹を立て、電話で先生を呼び出して「あなたの学校では、大した教育でもできないでしょうな」と散々文句をいってやっと静かになったことがありました。(県職員)三条東洋樹一日二十四時間の中には昼と夜がある。昼の世界のことは誰も注新しい門出を祝って「ベッドこそ、この世の最良の場所である。なぜならわれわれに生涯のもっとも美しい三分の一をすごすからだ」といった人があります.そして「なぜベッドの発明者に銅像を建てないのかと不思議がっております。エジプト人も美しいベッドをもっていました。高い足台の上にのせられた豪華なベッドでした。ギリシヤ人も美しいベッドをもっていました。象眼細工をし、脚は象牙でできていましたローマ人も美しいベッドをもっていました。ベッコウや象牙や、金や銀の象眼細工をした素晴らしいベッドでした。ルイ十四べも美しいベッドをもっていました.四一三個の豪華なベッドのうち、一五五個は特大のベッドでした。フランスの歴王たちはベッド大臣に謁見をたまわりました。それだのになぜ日本人だけがベッドをもなかったのでしょう。例によって小ぱなしを一つ。若いオフイスガールが、下腹部がせり出してきたので、さっそくお医者のところへまいりました。しかし、さすがに気が引けたのかモジモジしながら「あの先生、私、ダンスの角にでもお腹をぶつけたんだと思いますわ」先生笑いながら「いやこのふくれかたはタンスではありません。きっとベッドの柱なんでしょう」(T)46ピンクコーナー

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