KOBECCO(月刊 神戸っ子) 1961年9月号
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レリーフ「。c□,蛍・珊吟画拠る醐醸蹄卵f筑閣四一恥』併鋤口酬薗荻△f‐蹄6歌鵠lr”叶腰」h神戸と画家の目青木重雄19ところが、そんなことを知ってか知らないでか、会員になって以降岡崎さんはグングン実力を発揮し始めた。〃女性″という妙なハンディを超越して、同会の〃異色″といってもおかしくないほどの実力の伴った個性を延ばし始めたのだ。そして今夏、大阪で初の個展を開いた。実のところ、従来の持ち味の良さをさらに伸ばし充実していた面はあった。粗いタッチの中に幻想感のこもったその画面。しかし、どうも作品にまだムラのあるのが気になる。小さなお子さんを抱えての作画という、現在の環境のせいであろうと好意的に考えたい。神戸の画壇からはまだしっかりした女流が育っていない。がんばってほしいものである。(伊藤誠)花時計岡崎陽子さん(一水会)神戸には絵かきさんが多い。ことに洋画家の数は、おそらく東京についで全国で第二だろう。神戸の風景が洋画に適していることが第一の原因だろうが、なるほどそういえば、山あり、海あり、しかも海へ向ってのなだらかな傾斜の妙は、そのまま絵になるような美しさに富んでいる。ことにしゃれた外人住宅の多い中山手界隈は風景画にはもってこいである。道路の片隅に画架を立てて、しきりに絵筆を動かしている画家の姿も、このあたりではいかにも周りのふんいきにマッチした感じがする。最近絵の世界にも大きな変化が現われて、写実画以外に抽象画をものする画家がずいぶんふえてきた。こうなると、今まで風景画で神戸の街が果たしていた大きな役。』割もあまり役に立たなくなってきたのではないかという気がする。たしかに、エキゾチックな建物や坂道も、そのままでは絵にならぬとすれば、宝の持ちぐされというほかあるまい。だが、そうかといって神戸の持味やマチエールが、抽象画に役立たぬということは皮相な考え方だろう。たとえば、阪神間に住む須田勉太氏の岩石などのオブジェ蒐集、津高和一氏の無機で明かるい構成なども、乾燥した神戸的、六甲的な風土に無縁とはいえぬだろう。小松益喜や坂本益夫氏などの〃山手画家″から、津高、須田氏はじめ若い画家群の〃抽象表現″へと、神戸を見る目も〃自然″を離れて幅広く変わりつつあるようだ.(神戸新聞調査部長)「サーカスの馬」岡崎陽子さん’一水会の会員である。一水会という会、日本の美術団体の中では歴史の古い方で、従って中心になる面々がご老体である。だから、一つは前衛意欲の強烈な若い人たちには何とも魅力がない。二つは、若い女性の作品に対しての点数が極めて甘い。「あなたの会ではどんな勅人を期待しますか」と問われて「若くて美しい女性」と委員が堂々と答えるのだから、痛快でもあるし、逆に「ああヤンヌルカナ」でもあろう大分、前置きが長くなったが、実は岡崎さんが一水会で受賞し、会員に推薦されたころ、岡崎さんにもそんな、女性であるが故に優遇されているのではないかという匂いがないでもなかったのである

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